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スペシャリストの眼

「斜め45度」の視点

2021年4月6日

第373回 沿岸部は「住民が逃げる力」、内陸部は「住民が助け合う力」に注目東日本大震災10年の現実

 私は岩手県の出身です。父親は地方公務員で、岩手県の宮古市、花巻市、釜石市、水沢市、盛岡市などの都市部を移動する生活でした。このうち沿岸部にある宮古市や釜石市は、数十年に1回くらいのペースで、津波に襲われています。それゆえに、家庭でも学校でも、「地震、津波、すぐ逃げろ」と教えられて育ちました。

 「地震! 津波! すぐ逃げろ!」・・・。子供でも覚えやすい「3拍子!」であることに注目してください。

【■■】東日本大震災の当日

 今から10年前の、2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生しました。その時、私は東京・お茶の水にある建築設計事務所を訪ねて、取材している最中でした。お茶の水周辺は震度5弱、建物はそれなりに揺れました。

 直ぐにテレビをつけてもらうと、「マグニチュード9.0」という、とんでもない大地震であることが分かってきました。茫然としてテレビを見続けていると、岩手県、宮城県、福島県などの沿岸部が次々に大津波に襲われています。

 テレビには、津波が押し寄せて来るにもかかわらず、ただ立ち続けている人達や、建物の屋上から海を眺める人達も写っています。その姿を見ながら思わず、「山の方へ逃げろ、逃げろ、逃げろ」と叫んでいました。

 後で分かったことですが、私が中学3年生のときに住んでいた釜石市の宿舎も、大津波で流されてしまったそうです。

【■■】私が夜を過ごした場所

 私の住まいは、東京駅から東海道新幹線に乗って、1時間以上かかる場所です。しかし、東日本大震災の当日、東海道新幹線はすぐにストップしてしまいました。それゆえに、予約が取れないかホテルに電話してみましたが、すべて「満員です」と断られました。

 「今夜はどうすればいいだろう?」と悩んでいると、設計事務所の所長が、「今夜はこの事務所で過ごしてください」と手を差し伸べてくれました。彼の温情は、今でも忘れられません。

 ◆事務所の周辺を「偵察」

 夕方を迎えた頃に、設計事務所の周辺を「偵察」することにしました。外に出ると、周辺の道路は、大勢の歩行者で溢れていました。そのほとんどが、主要な交通網がストップしたため、自宅まで徒歩で帰ろうとしている人達でした。

 次に地下鉄・神保町駅に行ってみると、大勢の人が構内で休んでいる姿が見えました。地下鉄がストップしたために、構内で待ち続けているようです。地下鉄の構内であれば、寒い風が吹き抜ける訳ではないので、少しは暖かい感じです。私は心の中で、「皆さんが、風邪を引かないように」と念じていました。

 私は翌日の朝早くに、設計事務所を出発しました。そして徒歩30分くらいで東京駅に到着。幸いにも、東海道新幹線の1番列車に乗車できました。

【■■】地域安全学会「東日本大震災における首都圏の帰宅困難者に関する社会調査」

 大震災から8ヵ月後の2011年11月、地域安全学会の論文集に、「東日本大震災における首都圏の帰宅困難者に関する社会調査」と題する論文が掲載されました。執筆者は東京大学大学院の廣井悠氏、東洋大学社会学部の関谷直也氏など計5名です。その要点をまとめましょう。

 ◆首都圏における1日の鉄道利用者数は約4000万人
  そのうち「通勤・通学定期」の利用者数は約950万人
  平均乗車時間は約68分

 ◆大震災当日の帰宅状況(東京都の居住者のみ
  自宅に帰ることができた──67.8%
  会社に泊まった──19.9%
  会社以外の場所に泊まった──8.8%
  その他──3.5%

 東京都の住民でさえ、自宅に帰ることができたのは67.8%です。したがって、首都圏の他地域(千葉県、埼玉県、神奈川県・・・)に住む人達が自宅にたどり着くことは、かなり大変だったと思われます。

 論文のURL
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/jisss/15/0/15_343/_article/-char/ja/>

【■■】リクルート「災害発生時に求められる“住民の共助力”に関する実態調査」

 不動産ポータルサイトの「SUUMO」を運営するリクルート住まいカンパニーは、東日本大震災から丁度10年目の2021年3月10日、「災害発生時に求められる“住民の共助力”に関する実態調査」の結果を発表しました。

 プレスリリースのURL
<http://www.recruit-sumai.co.jp/press/upload/3e05bf0b8c92c71a45e3a074f7471844.pdf>

 大地震で大津波が発生したとき、沿岸部の住民は「地震、津波、すぐ逃げろ」という経験則にしたがって、主として「自分の力(自分の脚力)」で命を守らなければなりません。

 その一方、内陸部の住民は「共助」、すなわち互いに助け合いながら行動することが可能です。リクルート住まいカンパニーの実態調査は、その「共助力」に注目した価値が高い調査だと思います。以下に、その要点をまとめました。

 ◆「住民の共助力──助ける力」の算出方法

  ①住まいの近くに「知人」が住んでいる
   ご近所 (自宅から半径400m圏内、徒歩約5分以内)──1点
   徒歩圏(自宅から半径400m〜4km圏内、徒歩約1時間以内)──1点

  ②「知人の家」がどこにあるか知っている
   ご近所──1点
   徒歩圏──1点

  ③「知人の連絡先」を知っている
   ご近所──1点
   徒歩圏──1点

  ④「知人とその家族が家にいる時間帯」を知っている
   ご近所──1点
   徒歩圏──1点

  ⑤災害が起きたとき、「自分の安全が確保されていれば、あなたはその知人や家族を助けに行く」
   ご近所──1点
   徒歩圏──1点

 このように、「ご近所」(自宅から半径400m圏内)、および「徒歩圏」(自宅から半径400m〜4km圏内)という2種類の距離圏で、当てはまる項目を選択してもらいます。

 次に上記の各項目、すなわち「①②③④⑤」の点数を合計します。

 最後に、その合計点を「住まいの最寄り駅」ごとに集計します。リクルート住まいカンパニーの「2021年3月10日付けリリース」には、以下に示す6種類のランキングが掲載されています。

 ⓐ首都圏の1都4県ランキング(26位まで)
 ⓑ東京都のランキング(9位まで)
 ⓒ神奈川県のランキング(6位まで)
 ⓓ埼玉県のランキング(3位まで)
 ⓔ千葉県のランキング(6位まで)
 ⓕ茨城県のランキング(3位まで)

【■■】共助力1位「西登戸」駅、2位「大磯駅」駅、3位「三崎口」駅

 このうちⓐ首都圏の1都4県ランキングで最も共助力が高かったのは、千葉県千葉市の「西登戸」駅でした(正確には、「西登戸」を最寄り駅とする地域)。

 次いで、2位は神奈川県の「大磯駅」、3位は東京都の「駒沢大学」駅および神奈川県の「三崎口」駅という結果になりました。

 ランキングには戦前から長く人が住んできた街や、多くの人が同時期に移り住んだ後に、コミュニティを築き上げてきた古くからの分譲地が挙がっています。長期間、住み続けている層だけではなく、若者や新たに加わったファミリー層など、幅広い世代間の交流が活発な街のほうが、より共助力が高くなる傾向があるようです。

 1位「西登戸」駅は、京成千葉線を利用すると、京成千葉駅まで約2分の場所に位置する住宅街です。駅の東側は別荘地として開発され、今では閑静な住宅街が広がっています。

 2位「大磯」駅は、「湘南発祥の地」とされ、国内最初の海水浴場が開設されるなど、緑と海に囲まれた自然豊かな街です。

 3位「駒沢大学」駅には、1964年に東京オリンピックの第2会場として開園した「駒沢オリンピック公園」があり、東京都の地域防災計画で大規模救出救助活動拠点に指定されています。

 また同率3位の「三崎口」駅は、神奈川県三浦市に位置する海沿いの街です。

 三浦市は「消滅可能性都市」ともいわれ、高齢化や人口減少に直面していましたが、行政や民間の工夫により空き家の再生や起業家の誘致に積極的に取り組んでいます。地域活性にかかわりたい若い起業家たちが流入し、新たな店舗やビジネスを通じて地元住民との交流を生み出していることも、共助力の高さにつながったと思われます。

【■■】災害時に求められる“共助力”とは?

 内閣府「防災白書」(2014年)によると、「阪神・淡路大震災」において、生き埋めや閉じ込められた際の救助主体は次のような割合でした。

 「自力で脱出」34.9%(自力)
 「家族」31.9%(自力)
 「友人・隣人」28.1%(共助)

 このように、友人や隣人に助けてもらった人が、28.1%もいます。「共助」の力は偉大です。
 ◆共助力につながる「街の取り組み事例」
 ①20〜40代が参加して、つながりの輪の連鎖が広がる、 渋谷区の「渋谷おとなりサンデー」。
 ②葛飾区、江戸川区、江東区などで活動する、地元住民による地域コミュニティ「ハハモコモひろば」。
 ③企業が主体となりマンションと地域町会の連携を進める事例。

 特に分譲マンションの場合には、「災害時は在宅避難が基本」とされるため、各マンション管理組合ごとに備蓄品を用意するなど、防災を意識した取り組みが増加する傾向にあります。さらには、マンション内だけでなく、町内会との連携を進める取り組みに力を入れている事例もあります。

【■■】近年の大震災で得られた教訓

 以上をまとめると、1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」や、2011年3月11日発生した「東日本大震災」では、次のような教訓が得られたことになります。

 ◆「沿岸部」が大地震に襲われた場合に備えて、各人が「地震、津波、すぐ逃げろ」という反射神経を鍛えるように努力を重ねる。それに加えて、高齢者や幼児をなどを安全地帯に導くために、地域全体として「共助の体制」を整えるべく努力する。

 ◆「内陸部」が大地震に襲われた場合に備えて、「共助力」を向上させるように努力を重ねる。

細野 透(ほその・とおる)

建築&住宅ジャ─ナリスト。建築専門誌『日経ア─キテクチュア』編集長などを経て、2006年からフリ─ランスで活動。

東京大学大学院博士課程(建築学専攻)修了、工学博士、一級建築士。

著書に、『建築批評講座』(共著、日経BP社)、『ありえない家』(日本経済新聞社)、『耐震偽装』(日本経済新聞社)、 『風水の真実』(日本経済新聞出版社)、『東京スカイツリーと東京タワー』(建築資料研究社)、 『巨大地震権威16人の警告』(共著、文春新書)、『謎深き庭 龍安寺石庭』(淡交社)など。


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