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スペシャリストの眼

「斜め45度」の視点

2016年4月19日

第209回3種類もある「日本初の分譲マンション」

 旭化成不動産レジデンスは「日本初の分譲マンション」に関するニュースリリースを公表した。

 私はこれまで、日本初の分譲マンションは「四谷コーポラス」と思い込んでいたので、少し混乱した。いろいろ調べてみると、日本初の分譲マンションには少なくても3種類が存在する事実に気がついた。

 初めに、分譲マンションという言葉の定義を、確認しておく必要がある。

 これによれば、「宮益坂ビルディング」は「わが国で初めて公共が分譲したマンション」ということになる。この建物は1953年(昭和28年)、「渋谷ヒカリエ」に隣接する都心の一等地に、東京都住宅協会が分譲した。地上11階、地下1階。当初は1階が店舗、2~4階が事務所、5階以上が住宅だった。 

 2基のエレベーターが設置され、エレベーターガールが操作したとされる。セントラル方式による暖房、ビル内の交換手による電話、ダストシュート、メールシュートなど当時の最先端設備を備えた高級住宅として注目され、「天国の百万円アパート」とも呼ばれた。当時の大卒社員の初任給は5600円とされているので、その179倍だったことになる。

 ちなみに、2015年の大卒社員の初任給は21万1000円で、それを179倍すると3777万円になる。

 建替前の「宮益坂ビルディング」

 建替後の「宮益坂ビルディング」(同)

 次に、「四谷コーポラス」は「わが国で初めて民間が分譲したマンション」ということになる。この建物は1956年(昭和31年)、東京都新宿区本塩町に日本信販(現、日本開発)が分譲した。5階建て、28戸で、住戸タイプはA型とB型の2種類ある。

 A型は上下2層のメゾネットタイプで24戸あり、専有面積は約77平方メートル、価格は233万円だった。B型は平面タイプで4戸あり、専有面積は約52平方メートル、価格は約156万円だった。当時の大卒社員の初任給は1万円とされているので、その156倍~233倍だったことになる。

 間取りや内装はA型B型とも、水回り以外は購入者の希望を取り入れる「フリーオーダー形式」が採用されていた。また当初は著名人や医師、大学教授などが多く入居していたとされる。

 続いて、1962年(昭和37年)4月に「建物の区分所有等に関する法律」、いわゆる区分所有法が制定された。この法律は、建物を「専有部分」と「共用部分」とに分け、区分所有者は専有部分について区分所有権を有すると同時に、共用部分については専有部分の床面積の割合に応じて持分を有するものと明記した。これによって、分譲マンションの権利関係が明確になった。

 すなわち3番目は「区分所有法に基づいてわが国で初めて分譲されたマンション」である。いろいろ調べると、その該当物件は1962年(昭和37年)7月に竣工した「目白台ハウス」と思われる。

 所在地は東京都文京区関口2丁目で、8階建て、総戸数は127戸。残念ながら新築時の分譲価格は分からない。私の恩師が1980年代に事務所を構えていたので何回か訪ねた記憶がある。「ヴィンテージマンション」という呼び名にふさわしい、気品のあるマンションだったが、現在は老朽化し建替が検討されているようだ。

細野 透(ほその・とおる)

建築&住宅ジャーナリスト。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集長などを経て、2006年からフリージャーナリストとして活動。  東京大学大学院博士課程(建築学専攻)修了、工学博士、一級建築士。日本建築学会・編集委員会顧問。 ブログ『建築雑誌オールレビュー』を主宰。日経産業新聞『目利きが斬る・住宅欄』に寄稿。  著書に、『建築批評講座』(共著、日経BP社)、『建築家という生き方』(共著、日経BP社)、 『ありえない家』(日本経済新聞社)、『建築産業再生のためのマネジメント講座』(共著、早稲田大学出版部) 、 『耐震偽装』(日本経済新聞社)、『風水の真実』(日本経済新聞出版社)ほかがある。


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