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スペシャリストの眼

「斜め45度」の視点

2011年9月1日

第42回3つの「防災記念日」

 私の心の中には、3つの「防災記念日」がある。ひとつは、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなむ、正式の「防災の日」だ。

 関東大震災で被害が大きかったのは、軟弱な地盤に立つ木造家屋と、地震に弱い石造やレンガ造の建物だった。これに対して、同年2月に竣工したばかりの元祖「丸ノ内ビルヂング」は地震に耐えて、鉄筋コンクリート造の耐震性を実証した。

 そのため、日本の建築界は、地震に強い鉄筋コンクリート造、鉄骨造の普及に向けて、本格的に舵を切ることにした。そして、翌1924年には、当時の内務省が「市街地建築物法」を改正。世界初となる耐震規定を導入して、水平震度を0.1とした。

 水平震度は、本当は0.1ではなく0.2にすべきであったのだが、ささやかではあれ1歩前進できたのだから、「良し」としなければならない。

 2つ目の「防災記念日」は、1995年(平成7年)1月17日に発生した、阪神大震災にちなむものだ。

 阪神大震災で判明したのは、建築分野においては、新耐震基準の建物をもなぎ倒した「キラーパルス」の威力であり、土木分野では、高速道路が横倒しになるという信じがたい光景だった。

 しかしながら、2000年に行われた建築基準法の大改正に際して、当時の建設省は、稚拙にも、耐震強度のレベルダウンが可能な「性能設計法」を導入してしまった。

 阪神大震災のキラーパルスは新耐震建物をも倒壊させたのだから、求めるのは、耐震強度のレベルアップでなければならない。それなのに、建設省が行ったのは、驚くことにその「逆」を可能にする新システムの導入だった。

 改正建基法の不備につけ込んだのが、あの姉歯元建築士である。2005年11月に、耐震偽装事件が発覚して、大騒動になったのは記憶に新しい。

 さらに、国交省による、その後の対応もひどかった。偽装の再発防止を掲げて行われた改正建築基準法の出来が悪すぎたため、建築界が大混乱。ついには、「改正建基法不況」に陥ってしまったのだ。

 私は、毎年、1月17日になると、阪神大震災だけではなく、その後の建設省(国交省)の迷走ぶりを思い出してしまう。

 3つ目の「防災記念日」は、言うまでもなく、今年3月11日に発生した東日本大震災にちなむものだ。東日本大震災の特徴は、「大津波の猛威」、「造成宅地の崩壊、液状化」、「超広域に及ぶ被災地」、「原発の暴走」、「電力不足」という五重苦にあった。

 

 この中で、国交省の管轄下にある課題は、大津波対策、液状化対策、既存擁壁対策、長周期地震動対策、旧耐震建物対策、節電・蓄電・発電建物の普及策…などになる。

 全国紙は、東日本大震災は平安時代の貞観(じょうがん)地震(869年)に匹敵する巨大地震で、この後も東海・東南海・南海3連動地震や首都圏直下型地震の発生も予想され、「日本列島は千年に一度の巨大地震の世紀」を迎えたと警告する。

 それに備えるためにも、国交省には、今度こそ「迷走」のない舵取りを注文したい。願わくは、来年3月11日の「新防災記念日」には、犠牲になった方々に、「ここまで復旧しました。今後は、こんな青写真のもとで、被災地を再建し、かつ国土の防災性を高めて参ります」と報告できればと思う。

細野 透(ほその・とおる)

建築&住宅ジャーナリスト。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集長などを経て、2006年からフリージャーナリストとして活動。  東京大学大学院博士課程(建築学専攻)修了、工学博士、一級建築士。日本建築学会・編集委員会顧問。 ブログ『建築雑誌オールレビュー』を主宰。日経産業新聞『目利きが斬る・住宅欄』に寄稿。  著書に、『建築批評講座』(共著、日経BP社)、『建築家という生き方』(共著、日経BP社)、 『ありえない家』(日本経済新聞社)、『建築産業再生のためのマネジメント講座』(共著、早稲田大学出版部) 、 『耐震偽装』(日本経済新聞社)、『風水の真実』(日本経済新聞出版社)ほかがある。


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