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スペシャリストの眼

「斜め45度」の視点

2011年10月11日

第46回コープ住宅600棟の歴史と「推進者の脱落」

 マンションの中で、見かけない人に会ったとき、「コンニチハ」と言って挨拶した方がいいのか、それとも「どちらさまですか」と警戒気味の声をかけた方がいいのか……。入居者同士が顔見知りになっていないマンションでは、こんな「ためらい」も珍しくないはずだ。

 各種のマンションのうち、入居者同士が最も知り合いになりやすいのは、コーポラティブ住宅(コープ住宅)形式だといわれる。

 コープ住宅とは、住宅の取得を考えている複数のユーザーが集まって、建設組合を結成。共同で土地を購入し、建物を建て、管理する集合住宅をいう。組合の結成から入居まで、平均して2年弱の期間がかかる。一般的には、コーディネート会社が建設計画を主導。土地を仮確保し、建築家に基本設計案の作成を依頼して、インターネット等を通じて参加者を集め、建設組合をサポートしながら、建物を完成させる役割を担うことが多い。

 このように、マンションが完成するまでの約2年間、入居者(建設組合参加者)は、打ち合わせのため何回も顔を合わせるため、自然に顔見知りになっていくのである。

 NPO全国コープ住宅推進協議会の調べによると、コーポラティブ住宅(コープ住宅)の総建設棟数が、2010年に600棟を超えた模様である。

 コープ住宅の第1号は下丸子共同住宅(1969年、18戸、東京都大田区)。1960年代と70年代に計74棟が建設された。以後、80年代に186棟、90年代に97棟、2000年代に231棟が建設。平均すると、1年に約15棟という、地道なペースで実績を積み重ねてきた。

 コープ住宅の主なメリットは、広告宣伝費や販売経費などの中間コストが不要なため一般の分譲マンションに比べて価格が安い、居住者の好みにあった個性的なインテリア(インフィル空間)に仕上げられる、共同で建設するのでコミュニティが育ちやすいという3点だ。

 コーディネート会社として、関西圏では、70年代から90年代にかけて、「都市住宅を自分達の手で創る会」(都住創)が活躍した。

 これに対して、首都圏では、2000年以降、都市デザインシステム、アーキネット、NPO都市住宅とまちづくり研究会(としまち研)の3者が中心的な役割を果たしてきた。アーキネットの実績は約80棟、としまち研の実績は16棟(含む、進行中物件)である。

 しかし、都市デザインシステムは、資金繰りの行き詰まりによって08年に退場し、コプラスがそれを引き継いだ形になっている。

 かつて、コープ住宅は、デザインや間取りが個性的すぎるので、転売時に売りにくいと指摘された時代もあった。しかし、1993年頃に登場した、「デザイナーズ物件の三大プロデュース会社」といわれる、リネア建築企画、アルファープランナー、タカギプランニングオフィスの活動によって、「デザイナーズ住宅」という言葉がユーザーに浸透。デザイン性のあるコープ住宅は、中古市場でもきちんと価値を認められるようになった。

 冒頭に紹介した「コンニチハ」「どちらさまですか」というエピソードは、2000年代前半に、都市デザインシステム代表の梶原文生氏に聞いた話である。「コープ住宅は入居者が顔見知りなので、かつての下町の長屋のように、人間力によって防犯性を高めている」との説明は説得力があった。

 当時、梶原氏はコープ住宅に全力投球していた。しかし、その後、事業の枠を広げて不動産事業に乗り出したため、リーマンショックの渦に飲み込まれてしまった。同社の退場は、コープ住宅40年強、600棟の歴史において、最大の推進者を脱落させる事件となった。

細野 透(ほその・とおる)

建築&住宅ジャーナリスト。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集長などを経て、2006年からフリージャーナリストとして活動。  東京大学大学院博士課程(建築学専攻)修了、工学博士、一級建築士。日本建築学会・編集委員会顧問。 ブログ『建築雑誌オールレビュー』を主宰。日経産業新聞『目利きが斬る・住宅欄』に寄稿。  著書に、『建築批評講座』(共著、日経BP社)、『建築家という生き方』(共著、日経BP社)、 『ありえない家』(日本経済新聞社)、『建築産業再生のためのマネジメント講座』(共著、早稲田大学出版部) 、 『耐震偽装』(日本経済新聞社)、『風水の真実』(日本経済新聞出版社)ほかがある。


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